病院と精神保健福祉士との共生

普段から通院している砂川市立病院の方々との交流を記しています。毎月更新しようと思っています。

2024年10月

10月はいろいろありました。ブログにするにも頭の中で整理がつかず妻にあったことを聞いて整理しないとなりませんでした。
様々な出来事をPCとタブレットに記録していていて、今回は二つのことを記事にしたいと思います。

10月4日に、北大の宮下さん、私のパートナーで精神福祉士の大辻さん、あと私の3名で「認知症(もの忘れが多い)方の役立つアプリ」の開発についての打ち合わせがありました。
大辻さんと一緒に行った、エーザイさん向けの講話の時に「もの忘れを助けてくれるアプリがあれば」という話をさせてもらったのですが、宮下さんは認知症の方を助けるアプリを既に開発中で、デモで利用してもらえる方を探しているとのことです。
すでに砂川市内で2名、岩見沢市で1名が利用していて、今回は私に話がありました。
宮下さんは「社会人の大辻さんや私がビックリするくらいの研究費をちゃんと前もって工面していて」とりわけ取り組む姿勢がレべチであって、会うまでの私の中での本人像は優に超えていました。
彼自身は「工学部」の学生さんで、その肩書上でいえば医学とは距離があると思いがちだけれども、それを有用しながら「もの忘れで困っている方の実質的な役に立ちたい」という想いが感じられ、加えて先駆者的な馬力が感じられました。あと私の父親が北大卒なので親近感がありました。

私も認知症患者の一人ですから、モニターの一人として協力していくことになりました。11月に宮下さんと再度打ち合わせがあるので楽しみにしています。

10月17日には「空知ひまわり」の集いがあり、若年性認知症本人のご家族である岩見沢市の中村さんの講演を聴きに行きました。
話の中で「娘に将棋に負けちゃったー!」と本人が言っていた、とありました。お父さんとしてはうれしかったのでしょう。私にも娘がいて、テニスゲームで負けるとうれしいです。内心は違うわけです。

中村さんご本人の主治医であった、砂川市立病院の内海先生が集いの中で「徒歩」の話をしていました。今般復活した「空知ひまわり」は、もともと内海先生のもと設立された集いだったそうで、その中で東京から北竜町に引っ越してきた中村さんご家族とは長年にわたって親交があったそうです。帰ってから調べてみると、内海先生の支援活動で中村さん本人が「徒歩」「パークゴルフ」「陶芸」「卓球」「カラオケ」などを繰り返し繰り返し行うことで、少なくなった脳細胞同士がお互いにネットワークを形成して病気の進行を遅らせていると考えられる、という見解を示されていました。病気発症後約15年が経過しても、進行は大変緩やかなものとなっていたそうです。これってすごいことで、だいたいこの病気は発症後約10年、もしくは急激に悪化して短い場合は数年、良くても長くて15年という余命が示されているからです。
発症後約20年が経過し、ご本人が認知症とは別の理由で入院することがあり急激に症状が悪化し亡くなってしまったそうです。内海先生は、それまで日常的に歩く機会が多かったけれど、入院に伴いその歩く機会を失ったため認知機能が急激に悪化した可能性があった、と話されていました。
私はその話を聞いたとき、自分なりに行っている対策もあながち間違いではないかな、と思いました。日常的に歩くことは大切だろうけれども、先生の言った通りその他の病気になったりして歩けなくなった場合には、認知症に深刻な影響があるとも考えられるということです。なぜ認知症患者は徘徊するのか、無意識にも歩きたがるのか、もしかしたらヒトが認知症からの快復を目指すために、本来ある回復機能を無意識に発動しているのかもしれません。専門の研究者の方の見解が知りたいです。

集いには江別市のYAYOIさん夫妻も来られていました。ちょっとしか話せなかったけど、またLIVEには行きたいです。

2024年9月

9月20日には診察がありました。
症状としては「横ばい」のようです。
担当医の先生からは次回の診察の予定を聞かれました。
同じく、赤平市立病院から健康診断の結果が示されたので、その数年間の結果・推移を精神保健福祉士の大辻さんに確認してもらいました。数年間を通して良好な結果となってきており、その実測値は「食事と日々の生活」に記しておきます。
一部の研究者、医療関係者の方々からこの病気は「三型糖尿病」ともいわれており、私の数年の対策はこれにも沿う部分も一部あるかな?なので参考にしてみても良いでしょう。ただし、担当医からそういった異なる病名のようなものを示されたことは一回もないので、つまりは世間一般にこういうことはないということだから「私のような個人の対策はあわよくばプラス」くらいに考えておきましょう。

9月20日に、医薬品メーカーである「エーザイ」さん向けに精神保健福祉士の大辻さんと供に講演を行いました。
もちろん聞いたことある大会社だし、講演の依頼があったときにネットとかで調べました。
講演には妻も同席し、家族も「活躍してるね」と喜んでくれました。私は診断前後の経験を話させてもらい、質疑応答をしました。役に立てればいいなと思いました。
一患者である私が、どういった題材に関し、どれだけ役に立てるのかはそれ自体聞いてみないとわかりません。この病気に関して世間が何を知りたいのかを知りたいです。
質疑応答の一部で、「認知症向けアプリ」の必要性を話しました。製薬会社さんにこれいってもどうかなって思いますが、実際私自身どうやっても薬の飲み忘れは日々あるので利便性はあると思います。
「もの忘れ」的な事に関わるアプリは多種多様存在するけれども、実際に私自身がいろいろ使ってみるとちょっと違ったりします。
具体的にはアプリの操作がそれで、実はもの忘れ防止アプリのその操作自体が「健常者用」な訳でして。起動させ、メニューを選んでどうこう。。。なので、無理でした。
私の場合でいえば、これは自分自身でなった病気なのだからわがままな意見なのだけれども、もしも操作を含めて認知症患者に有用であったら助かるというものです。もちろん、そういうものに頼ると認知的に鍛えられないからヒト本来のその機能が低下してしまうかもしれません。と思われますが、やってみないとわかりません。ということも分かってもらえたらなと思いました。
分掌させてしまうかもしれないような余計な事なのだろうけれども、有用なアプリがあれば本当に助かるので私の要望は言ってみました。

9月29日は砂川市の「ゆう」にて講演会がありました。
9月というのは「認知症月間」なのだそうです。
私自身の診断前後の記録談と質疑応答を行いました。
関係者の方々はみんな私に対して興味を示してくれて、親切で友好的でした。
日曜だったのにわざわざ来てくれた方も多くて恐縮でした。
この病気の私に、そんなに症状の重くないであろう私にここまで興味を持ってくれるものかとありがたく思いました。
私自身、若年性認知症の症状は出ているようです。自覚のないことが多いらしいけど小さいことばかりで、今のところ深刻な事態にはなっていません。
ですので、私が講演で伝えたことは主に「できることをする」ということでした。
例えば私の場合、診断後にしていることは
・できる仕事をさせてもらう
・自分の食事はできる範囲で常に自分で作る
・毎日充分に寝る
・運動をする

主にこのことだと伝えました。
症状が重くなればできることが少なくなっていくだろうし、おかしなこともするだろうし、でもその前に自分自身でやることがあるだろう?ということは伝えました。なぜなら、もっともっとおかしくなってしまったら事実周りに迷惑が掛かるからです。家族だって周りだって、やることがあるだろうし、趣味に活力を注ぎたいだろうし、休日は出掛けたいだろうし、遊びたいだろうし、仕事から帰ってきたらゆっくりしたいだろうし、ゴロゴロしてスマホいじりたいだろうし、寝たいだろうし、ぼーっとしたいだろうし。。。でも、それができずに常に見張って面倒をみなければならなくなってしまう。この病気が治らないと現代医学で示されているのであれば、その前にどうするか?私の場合はどうしたか?この病気になってしまって自我が大いにあるのであれば自分でなんとかするしかないでしょう。ちょっと厳しいようだけれども、私の場合は約2年間そうしています。
今回の講演では、そのことを主に伝えました。

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2024年8月

今月はいろいろな出来事がありました。ところどころ覚えてはいますが、いろいろと忘れていることもあるようです。ですので、いつも必ず持ち歩いているタブレットに録画・録音・記載していることを確認しながら記したいと思います。

8月3日に砂川市の「ゆう」という施設で第18回市民健康フォーラムが開催されました。私はフォーラムの一部分、講演の依頼を受け20分くらい実体験を話させていただきました。確か1ヶ月くらいかけて原稿をタブレットに打ち込み、何度も練習してから「当日その原稿を読む」というものでした。診断前後の記録をそのまま発表しました。
私自身こうした活動ができるのも務めている会社の理解ありきだと思います。講演の中で「北海道若年認知症の人と家族の会」の平野事務局長が仰っていた内容で、「診断された方の約7割が解雇されている現実」の話をしていました。これ、業種によっては任せられないから仕方ないと思います。当事者は症状が軽ければ自身や家族の生活もあるから、できることして働かなければならないけど、実際お互いの為にも場合に応じて助けが必要な具体例は世間の方にお知らせしなければならないと思います。
フォーラムの会場に来られた方の講演後のアンケートを確認する機会がありました。
来られた方々がどのように思うのかは確認する必要があると私も思います。アンケートの集計は精神保健福祉士の大辻さんが行なっていました。
私もそのアンケートを見ました。学校や企業向けに発信して欲しいという感想が多数見受けられました。

8月23日に札幌市、かでる2.7の「かでるアスビックホール」にて認知症フォーラムが開催されました。
ここでは、ほっかいどう希望大使三名の任命式、とうきょう認知症希望大使さとうみきさんの講演と、映画上映が行われました。
さとうみきさんの講演は凄かったです。とにかく馬力が伝わってきました。有名な方で、ネットの動画をみていて「おとなしい方なのかなー」と思っていたら、若年性認知症というよりも明るさや力強さの方が際立っていて、とにかく安心しました。当人と逢ってみればわかるでしょう。認知症といえど個性豊かで、こういう方もいるのだなと思いました。

ほっかいどう希望大使の任命はリハーサル通りに進められました。でも、このリハーサルというものは私にとっては難題でして。結局、このところお世話になっている道庁の飯田主査の指示で動いて委嘱状を受け取った形となりました。ちゃんとリハーサルしたんですけどね。
そして終始いろいろと配慮してくださった道庁の松下主任、お疲れさまでした。

ということで、北海道初の希望大使が三名任命されました。私はそのうちの一人です。
北海道では発足したばかりで実績がなく、ピンと来ていない方がほとんどだと思います。
私のような一患者がどれだけ皆さんの助けになるかは、これからの活動次第なのでしょう。

伝えられるのは自身の現状が主だと推察されます。
これからみんなの私生活にいろいろと影響を与えるであろう「認知症本人とその家族」の割合は、もはや他人事では無くなると一般的に周知されるように「日本人の4~5人に1人の認知症本人とその家族」となってくるようです。かなりの割合ですね。

診断後から今までもそうだったのですが、精神保健福祉士の大辻さん(Otさん)の後方支援ありきで活動していくことになります。

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2024年7月

今月13日に札幌市の白石区、札幌コンベンションセンターで日本老年精神医学会の市民公開講座が開催され、私も一患者としてケアワーカーさんに招待され講座を受けてきました。
こちらの学会のテーマは「SDGsを求め進化する老年精神医学の未来 すべての人に健康と福祉を」となっていました。私の勤める会社でもSDGsに準拠した宣言を社の各拠点に掲げています。

市民公開講座の前に、今日の試みであった一つ「私と同じ若年性アルツハイマー型認知症の当事者と逢う」ということができました。実際に私と同じ診断をされた方と顔を合わせるのは初めてのことです。これまでにその記録はありません。当事者は、以前にケアワーカーさんを通じて動画でメッセージを頂いた丹野智文さん、研修会に参加したときの講師であった山中しのぶさん、そして同じ道内当事者の方、あとは私。計四名が顔を合わせました。丹野さんと山中さんは有名な方で、忙しいだろうからあまり迷惑を掛けたくないなとは思っていましたが、親切にいろいろと教えてくれました。
話をしたり仕草をみていると、驚きというか、納得というか、やっとこさ感覚の近い人と逢えたと感じることだらけでした。細かな個人差もあるようでした。話さなくてもわかるところがあり、話してもわかるところがありました。このときようやく「私はこの病気なんだ」と自覚をしました。普通のように行動できたり話せたりするようにみえることがこの病状に覆いかぶさっていて、それによって周りにはとてもみえにくい病気である、と確認できることが目の前にいる当事者の方々から得たものでした。

ところでもう一つの私の今日の試みは、「15時までに札幌駅から徒歩で札幌コンベンションセンターに行く」でした。距離は4km強で、結果からいうとちゃんと目標時刻前に到着できました。私にとってはいつもと違う光景の刺激を受けての徒歩が心地よかったです。
高速バスは、札幌駅前に余裕をもって昼過ぎ到着する便にしました。バス停に降りたらイベントの最中でライブがにぎやかでした。辺りを少し味わい、そのあと徒歩で出発しました。寄り道をしながら歩き、14時30分頃目的地に着きました。今回は念のため地理アプリを使いつつ妻にGPS管理をしてもらっていましたが、過去数年間この地域に社の営業担当として配属されていたこともあって、地理的に安心感もあり無難に歩行しきれたのだと思います。もしもスマホを無くしたり道のりとかいろいろわからなくなっても、辺りの方々に聞いていけばそのうちなんとかなるだろうし、とりあえずは自意識に任せました。
本日の出来事は都度タブレットに記録・録画しておいてよかったです。この記事もそれを転記するようにしているのでとても役に立っています。

ケアワーカーのOtさんは、患者のうちの一人である私の動向を常に気にしてくれていて、前日から何度かメールを頂いていました。会場までしっかりと来れるように度々導いてくれていました。ご心配をおかけしました。公開講座長の内海先生、Otさんと同じ若年性認知症支援コーディネーターのお二人とは会場で顔を合わせました。このときは安心したのを覚えています。

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2024年6月

今月はケアワーカーOtさんとのメールのやり取りが多かったです。
日ごろあることをけっこうマメに報告しています。町内会の行事のことや、6月は地元に帰省したのですが、両親や妹に近況を伝えたときの状況だったり、いろいろと伝えています。
教えてもらうことが多くあり、今後の行事や会う予定なども細かく教えてくれます。
これからの予定はいろいろと増えてきて、その予定は妻が管理しています。
札幌に出向くことも今後増えそうです。自分の位置がわからなくなるといったことは今のところありませんが、油断しないように気を付けなければなりません。アプリでGPS管理されているとはいえ、スマホを無くしてしまうことも日常でずっとあるから確認の嵐となると思います。
7月と8月の予定はいろいろとあります。
その予定の一つに来月、札幌で私と同じ年齢で若年性認知症の宮城県の丹野智文さんに少しだけ会えるそうです。聞きたいこともちょっとあるので楽しみです。動画でもよくみたりしていますが、全国を回る忙しい方だそうで、迷惑をかけないようにサラッと顔合わせしたいと思います。

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2024年5月

今月は2回、砂川市立病院に行きました。2回とも妻と私で参加・通院しました。16日は、認知症の当事者家族の為に再発足した「空知ひまわり」に参加し、17日は私の現時点での認知検査・診察でした。

北海道新聞の記事にもありましたが「空知ひまわり」は以前あって、参加する当事者家族が不在に等しい形となり解散し、時間を経て今回私たちのような当事者家族が増えてきたこともあり有志の方々によって再発足したとのことです。今回病院の関係者の方々による主導のもと、参加した当事者家族は過去に認知症の家族がいた方と私たち家族でした。
印象的だったのが、当事者家族の岩見沢市にお住まいのNさんでした。
とにかく、Nさんのたくましさには圧倒されました。
今でこそ私たちのような当事者家族には世間のいろいろな理解があって、実利的な投薬やカウンセリングがあるのは事実ですが、Nさんの場合はそういった後ろ盾が無い時期を乗り越えたというか、言葉では言い表せないような数年を過ごしていたとのことで、私たちはただただ話を聞くだけでした。私も実体験を話させてもらいましたが恵まれていると思いました。理由はこの病気に対して世間の理解が広まっているからだと思いました。

17日は認知テストとMRI検査とそれに伴う診察がありました。認知テストは横ばいというかまあまあだったようです。MRI検査結果では私の脳を自分の目で確かめることができました。
担当の医師によると、認知テストの判断基準は多種あって一概に言えず、例えば①の判断基準ではそこそこだけど②の判断基準では悪いかもしれない、など、テストの基準によって結果が分かれていました。でも悪化とまでいえなくて気にするまでもない範囲らしいです。
MRIの画像を見る限りでは、頭頂葉には総じて同年齢の一般的な脳と比べると委縮が見受けられる、とのことでした。画像をみたらやっぱり脳にすき間があるんですよね。でも2022年の診断時から比べると委縮はほとんど進んでいないとのことで良かったです。ともかくそういう結果でした。

通院時の記録にタブレットを使っています。このブログの打ち込みにはタブレットの記録を転用できていて有効だと思います。

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2024年4月

ケアワーカーのOtさんからメールがありました。感心する記事がありいろいろとやりとりをしました。
4月11日は通院の日で、この日もOtさんと話をしました。その中でも際立つ内容が下記になります。

2024年4月5日に北海道新聞15面にある記事が掲載されました。
砂川拠点とした「空知ひまわり」が発足するという記事です。
この空知ひまわりは私のケアワーカー、Otさんが中心となり発足したものです。
若年認知症当事者と関連する家族を支援する場だそうです。

Otさんにはかなり励まされました。記事の中で「何も力になれていない」と感じてきた、、、とあるのですが、私たち家族にとってOtさんは現になにより活力になってくれています。
やっぱり同じ当事者の方には会いたいと思います。同じ病気の人がどんな感じなのかな?って思うのは、なってみたら想うものなのですね。予想してなかったけど。でもそれが現実です。

空知ひまわりが発足するのは5月16日です。
発足日に初例会があり、当事者家族同士が面会できる機会が与えられています。8月3日に市民健康フォーラムが予定され、8月22日に当事者のさとうみきさんの講演会が開催され、10月18日には当事者家族による若年認知症介護経験談話があります。8月3日は私自身も一部講演します。

とにかく医療にかかわる方々の仕事ぶりには個人差はあるのだろうけれども、Otさんに関してはそこまでできるものなのかと感服しています。私たち家族は「空知ひまわり」に協力していきます。

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2024年3月

3月1日は今月の通院日でした。
いろいろとタブレットにメモしていたことを担当医に報告しました。

これまでスマホだったりタブレットを診療室に持参することはなくて、細かいところで様々な症状があったはずだということがわかりました。どういうことかというと、1年以上ずっとですが前回通院時からの出来事を担当医に報告するとき、少しだけ症状の報告をしていても実際は細かいところで症状が他にもあったのにそれを報告できていない部分が数多くあり、今回は日常で気になった出来事をなるべく都度タブレットにメモしておいたのでそれを診断時に報告し、これまでの診断時より報告内容がかなり多かったことがわかりました。これまでの通院では帰りの車で妻に指摘されることがあり、「アノこと先生に言ってなかったよ」とか「実際こういうことがあったのになんで言わないんだろうって思った」とか言われてきていました。これは症状なのだろうし、妻と私で認識にズレがあったのでしょう。だから今後はタブレット持参で報告することになりました。

今回も診断後にケアワーカーさんと話し合いをしました。
障害年金の申請手続で必要な書類を妻の管理の下、私が自分でPCにメモしておいた事や当ブログに記録していることを参考にして記入しました。提出したりする手順等とかわからない部分をケアワーカーさんに相談しました。
又、今後の活動についてもいろいろと相談しました。今後計画している私たち家族の啓蒙、啓発活動に向けての相談です。私の社会復帰前からこの活動については少しずつ話が進んでおり、初期症状の私が妻の管理下でいろいろと活動するための準備です。
夫婦そろってまだピンと来ていない部分もあるのですが、それは実際に行動すればわかってくるのでしょう。私は出来るだけ多くに方に伝えたいことが多くあります。例えば講演会なり、だそうです。このブログも今はほとんど知られていないと思いますが、そのうち周知されてくると予想されるそうです。

こういった準備は全てケアワーカーのOtさんの前準備の賜物で、1年以上を掛けてコツコツと準備されていて、私たち家族の為にもここまでして頂けるのかと思い感謝しております。

こういった啓蒙・啓発活動はケアワーカーOtさんの指導の下で、妻が裏方で私を管理しながら行う予定です。私自身の身上を公表する日も近いとのことです。大げさかもですが、この病気の当事者が世間にそれを公表するというのには家族にとってある程度の勇気がいることです。妻は裏方の管理者なので公表はしない予定ですが、私は家族への影響も充分に考慮した上で公表します。そこの時期的なところは慎重に計画しているようです。おそらくは来月の4月かその次の月か、そのあたりかもしれません。

私が世間に伝えることは、当事者の現実がどういう状況であるかが主になると思います。社会復帰して1年が経過し、その実体験でわかったことがいろいろとあります。診断前から診断後にかけて良い意味でも悪い意味でも、現実を伝えていかないとこの病気に対する理解を得るのは難しいでしょう。
全くこの病気に無縁で、なるとは思っていなかった私本人がなったわけだから、他の人もなってしまう可能性があります。だとしたら、どうしたら気付けるかとか、どうしたらある程度悪化を防げるだとか、そういった対策等を練りやすくするための啓発、啓蒙活動もしていく予定です。

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2024年2月

北海道新聞1月12日の13面に、当事者のさとうみきさんと山中しのぶさんの記事が大きく載っていました。ケアワーカーOtさんからその紙面のデータを頂きました。お二方とも有名な方で活動されている内容等が記事あって、去年ケアワーカーさんの招きで私たち家族もお二方の講演会に参加したりしてます。
記事の中で「出来ることに目を向けて」とあり自分の場合でも思い当たるところがあります。例えば慢性的に続いている物忘れのようなことは、自覚あるなし含めてほとんどの場合は大したことはなく、仕事中に作業をするとき例えばブツブツ声に出して復唱したりする注意方法でだいたいなんとかなるのと、気は使われてるけど「出来ることをして働ける」のはこの1年弱で証明されているわけだから、無理をして出来ないことに目を向けたときに起こりうる副作用発現の恐れを伴うことをわざわざしなくても、社会の歯車の一部としてある程度成り立ち年単位で家族が生活出来ているところをみるとそれは極めて妥当なメッセージであると思います。
もう一つ記事の中で、「病院からもらう薬もそうだけど家族が何よりの薬」という内容もいろいろ思い当たります。例えば服用している薬の飲み忘れがないようにとかいろいろな対策を練ってくれている家族ですが、それらに執着しないというか、とにかく家の中での妻と娘のケタケタ笑う姿だとか、とめどなく楽しそうで恬淡なやりとりを日々端からみていると、私たち家族自体は世の中から励まされるような立場であろうはずなのに、もう少し現状を深刻に捉えたほうがいいんじゃないのかと感じるくらいの「何よりも頼もしい存在」と私は思えていて、薬とはまた違った元気の素のようなものと思えます。

次の通院は3月1日となっています。担当医さんにはまた現状報告をします。ケアワーカーさんとは今後のことについて話し合う予定です。

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2024年1月

今月の通院時は担当医の先生に報告と、食事や運動や睡眠に関して教えてもらいました。食事等に関してははっきり言えないところもあって参考までにといった感じです。診断は現状維持で横ばいのようです。自分自身では調子がいいというか、おかしな変化はなかったように思います。

今回はケアワーカーのOtさんといろいろと話をしました。
妻を始め私自身も覚えていますが、2022年11月の診断それ以後の通院時に度々話をしていたことがあり、いろいろな啓発活動を行っている当事者の方々が活躍されている話をきいていました。私たちもそういった活動において周りに伝えたいことがあることをOtさんに伝えました。私のような症状が軽めであったり、まだまだ働ける当事者の方、特に宮城県の希望大使というポストにある丹野智文さんの話はよくききました。この方は私と同じ年齢で、こういった啓発活動において日本の中でリーダー的存在だと聞きました。氏とそのご家族は発症から約10年というこの病気に関する経験を積み重ねており、参考にしたいことがたくさんあります。Otさんの紹介で今年の夏ぐらいに来道されたときに会う予定です。家族ともども楽しみにしています。とにかく聞きたいことがいっぱいあります。
私たち家族は同じような症状を抱えるかもしれない方々に伝えたいことがあります。とにかくなにか異変に気付いたら病院で検査を受ける、ということです。絶対に早めの方がいい。もしかしたら治療次第でそのまま働けるかもしれない。異変をないがしろにし、そのままどうにもならなくなって症状が重くなってから診断されて悲惨な体験をしてしまった家族の実話を実際に聞きました。

私自身の脳はこの1年間でいろいろとその実体験を忘れている部分もあると思いますが、だいたいは妻が記憶し、私の場合はスマホやPCやタブレットに記録をこまめに残しています。これからの為にも、私自身は自分の身体に無理をさせないことを継続しています。病院の先生方は私のような患者のいうことをよく理解してくれていろいろ指導してくれます。
次の診察は3月1日とのことです。診察からこれまでもそうでしたが、これからも忖度されない実体験を記録しつつ、ケアワーカーさんとは連絡を取り合っていきます。

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2023年12月

ケアワーカーのOtさんとよくGメールのやりとりをしています。私以外の当事者の方が行っている啓発活動をいろいろと教えてくれたりします。ありがとうございます。
そんな中、私がアルバイト勤務しているガソリンスタンドに近々来店してくれるといってくれました。なんとも嬉しいことです。当事者がどのように勤務しているのか確認してほしいのもありますが、単純にご来店が嬉しいですね。日ごろ、どのように働いているか見てもらえるわけです。

ご来店、心よりお待ちしております。

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2023年11月

今月の通院時は検査結果の通知がありました。結果は良好、といったところでしょうか。
担当の先生の話によると、テストの点数は横ばいというか、詳細は浮き沈みがあるようですが総合して現状維持と捉えられるようでした。まずは良しと捉えていいようです。
比べて自分自身の自覚・自我の部分ですが、大して変わらないというかなんというか…というのが正直なところです。日々のアルバイトについては、まだ8ヵ月間ですが勤務表の予定通り欠勤無しで続けられています。休日にしている通院や検査の当日に、人手が足りなくて出勤してもらえないかといった連絡が会社から来ることもあり、必要とされているし別に出勤してもその1日ぐらいなんともないのではと思うのですが、その仕事の大切さとは別に一線を引くことは身体的にとても大切なようで、予定にない出勤などの要望は断るようにしています。その点は会社も良く理解してくれていて、メリハリのある仕事ができていると思います。
朝食時に薬を飲むことをよく忘れるのですが、とにかく毎日のように忘れます。妻に指摘されて服用する日がとにかく多かったです。診断から1年間それは変わらなかったです。薬を忘れずに飲む日の方が少ない、といったペースです。人にいわせれば、それって毎日でしょ?忘れた次の日にはわかりそうなもので防ぎようがないの?おかしくない?と思うだろうけど、ところが実は、他の人よりも当事者、自分自身が最もそれを感じている、そう思っている、わかりやすく心情を表現するとこうかもしれません。それに対し妻が対策を講じてくれました。

↑これは数ヵ月前から妻が対策してくれたもの①。11月24日の時点での画像。月と曜日がシートになっていて入れ替えることができる。日にちは印刷で固定されている。このカレンダー自体が目に入らない時には忘れてしまうことが多々ある。そういう時は自身、このカレンダーを意にも介していない。(入っている錠剤は病院から与えられている病気の進行を遅らせる薬のドネペジル塩酸塩5mg)

飲み忘れの頻度が全く変わらないため、11月になって行われた妻の対策②がこちら。

これは居間にある液晶TV。見えないが画面の左上あたりのふすまには、上の記事にある薬入りのカレンダーが掛けられている。画面右上に「薬」の文字が書いてあるメモ紙が見える。メモの上部はセロハンテープでTVの裏側にめくれるように付けられており、画面のその部分だけ見えないよう邪魔するようになっている。この画面の状態でいえば上側の「ビデオ」とい文字の右側、赤い塗りつぶしの中にも文字が記されている。そうなると何が書いてあるか気になる、という仕組みになっている。気になる部分を確認するにはメモをめくらなければならない。簡単に思いつきそうな対策のようだけど実際行い始めたのは今月11月だった。詳細がこちら。

朝食時になんとなくTV画面が目に入る → 邪魔な紙がある → 「薬」の文字が確認できる(薬?なんでこんな紙はってあるのかな?と思う時もたまにあった) → 薬を服用しなければならないことを思い出す → 薬を飲んでからメモをめくる → TV画面の気になる部分がみれる=薬を忘れずに服用できる

この対策②でも飲み忘れることはあったけど、だいたい20日間くらいこれを繰り返している。
上のような確認方法は順を追えば極々当たり前のようでも、これ以降に革新的な効果が確認できた。
数日前から、朝、上記の対策①②を確認しなくても、当たり前に自発的に薬を飲むことができてきた。最近「あ、忘れてない」と妻が言った。今までこの発言はなかったと思う。この薬を服用するという行動だけでいえば「快復」している。この対策と習慣性が「脳」にどういった効果をもたらしたかは研究者じゃないからわからないけど、自分以外からみて良くなっている部分とはいえる。

以上が効果があった対策でした。これをケアワーカーOtさんに今回報告しました。少し前進といっていい結果でした。

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2023年10月

今月は診断から1年が経とうとしているときで、認知テストが行われました。
簡単なテストだったと思います。医師によりさまざまな検査やテストが行われました。テストの内容は覚えています。調子はよかったと思うので、健常者に近い点数だったとは思います。結果はまだわからないので次の11月の診察時にわかるのでしょう。
テストの中で自覚しているおかしな現象があったので記したいと思います。
医師の行動をマネするといったテストでした。直前に医師が行った簡単な行動をマネするだけです。検査室の中で紙を持ったり、所定の位置に置いたり、所定の位置まで歩いたり、物を取ったり置いたり…。直前の動作のマネだし、どう考えても簡単な行動で普通なら出来ると思うのですがしっかりと覚えられません。ほんのりとこういう順番だろうなというのは「なんとなくわかる」のですが、はっきりと分からないためモヤモヤした感覚になります。今行っているのが認知テストなのかどうなのかもわからなくなりそうになりました。モヤモヤして忘れそうになるのを食い止めるように自我でなんとか保つといった感じでしょうか?認知テストはこれで何回目かだそうですが、今回はそれなりに高得点だった気がします。
テストが終わり会計を済まそうとしていたところ、ケアワーカーのOtさんが通りかかったので声をかけました。私たち夫婦と三人でいろいろと話しました。私の仕事も楽しく順調で、体調も良いと思うのでそれを報告しました。まずは悪化も好転もないですが、現状維持というのも良い傾向だとは思います。
食事は相変わらず「天然食事系の節約気味の健康趣向」といったところです。実際に私はこの食事で体調が目覚ましく「改善」かどうかは確証はないですが、市立病院の健康診断では「生活習慣病としてはこの年齢にしては目覚ましく好転した」と捉えられていたところもあって良い方向だとは思います。こういった私個人のような過信による健康趣向は、大多数が学問として修めその研究者の方々の裏付けというか、医学にとっての治験など、ある程度の調査対象数の現実の成功事例を以って「効果あり」と認められることとは一線を画しており、淘汰されているわけでもないけど認められてはおらず、実際に医師から勧められたようなことはこれまでありません。それらが通例というか大まかな常識だと思います。なにしろ私たち家族の軸はブレず国の医療機関の指示を守っています。かたやネットをみていると、その情報の発信で偏った強烈な健康趣向ほど個人が発している場合が大体で集団性がなく、その傾向から情報の選定には相当の注意が必要だと思われます。

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2023年9月

アルバイトで職場復帰後半年が経ちました。通院時のケアワーカーさんの部屋での会話で、私の復帰後の体験などを記事にするブログを初めてみようかなと思い相談してみました。主旨は後述しますが、ケアワーカーさんに相談してみました。全く気付かれず、周知に時間が掛かるとは思いますが、妻が代表管理者となりとして立ちあげることにしました。ケアワーカーのOtさんから応援のメールもいただいてます。ありがとうございます。
主旨は、ご覧になる方々やその周りの方々がもしも同じような体験をしていた場合に、この病気に早めに気付けるように、私の自覚できている範囲ではありますが、その症状を記し、気付いてもらい、本人や家族がひどい思いをしないよう早めに診察を受けるように促す内容で、そこを軸にしていく予定です。こういったブログとかネットに関わる発信というものが、私たち家族にとって初めての経験で、私でいえば今の立場はアルバイトですが、今勤めている会社で27年間職員、普通のサラリーマンでした。それとは関係ないかもしれませんがそれなりに仕事の事を考える時間が多く、SNSなどはLINEをちょこっとやっていた程度で、そういったネット関連のあまり知識が無くてブログ立ち上げには時間が掛かりました。
とにかく、この病気になると世話をする周りが大変で、おかしいなと思った方は早めに診察・検査を受けるようにお勧めします。病気じゃなければ安心するし、もし私と同じ診断を受けてしまった場合には早めに対応できると思います。
Otさんは今までたくさんの当事者の方と向き合っていて、私たち家族はいろいろと教わっています。又、こういった体制の医療機関は本当に頼りになると思いました。

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2023年8月

5月と同じくOtさんの紹介で、「ケアスタッフ研修会」に参加してみました。前回は私一人でしたが、今回は妻も参加しました。女性の講師の方で、5月の講師の方と同じように当事者の方でした。元気な方で、普通にみえました。この方もエネルギッシュに活動してらっしゃると思いました。私も仕事中に「普通じゃん」とか言われます。そうみえるところは同じかなと思いました。

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2023年5月

Otさんに紹介された「ケアスタッフ研修会」に参加してみました。ケアされる側が参加する形になりましたが、ZOOMで参加するのでカメラを買いました。
講師の方は女性の方で、当事者の方でした。「この方は私と同じ病気なのか。普通にみえる…。」と思いました。最後まで話を聞き、質問をしたことを覚えています。講師の方は、自分の境遇で出来ることをし、世の中の歯車として立派に自立されているようにみえました。私も頑張ろうと思いました。

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2022年11月

診断が出たとき、私にはケアワーカーさんが2名ついてくれました。お二方と話し気持ちが落ち着いたのを覚えています。このときの男性のケアワーカーさん(匿名:Otさん)が、会社の役員と同じ大学の出身だということでした。親近感があり、さらに気が楽になった事を覚えています。

Otさんは通院時に会ってくれることが多くなっていきました。妻は診断後の障害者として必要な手続きをいろいろOtさんに質問していました。かなり救われたと思います。

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